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オールドスクールhiphop

一般的には、70年頃〜85年前後のヒップホップの事を指しますが、ポップスやロックなど、他のジャンルにも当てはまることがあります。本来のold schoolの意味は、出身校や保守的、といった意味で、「考え方が古い」とか昔の人といった言い回しにも使われたりします。

HIPHOPはスタイルや曲調で時代によって区別をされるようになり、1970年代〜1985年前後をオールドスクールと呼んで、それ以降のことをニュースクールと呼びます。ちなみにミドルスクールという言葉は日本だけの独自な呼び方でオールドスクールとニュースクールの間の部分を指す言葉です。

1970年代初め〜1985年前後

HIPHOPはブレイクビーツを発明したクール・ハーク(Kool Herc)師匠、スクラッチ技術の発見者グランドマスター・フラッシュ(Grandmaster Flash)師匠、そしてHIPHOPのゴッド父ちゃんことアフリカ・バンバータ(Afrika Bambaataa)大先生の3大DJを大柱として、コミュニティーのパーティーだけにとどまらない音楽のジャンルとして幅広く知られていきました。

そしてオールドスクールの時代は、例えばシュガーヒル・ギャングのように、ソウル、ファンク、ディスコミュージック、の音源をしばしばサンプリングしています。

しかしその多くはドラムマシンとブレイクだけでトラックが作られた。オールドスクールの時代の当時のリリックの内容はというと、ほとんどがパーティや、地元、友情、 金、セッ○ス、自分の武勇伝をテーマにしたものが中心でしたが、グランドマスター・フラッシュ&ザ・フュリアス・ファイブの「The Message」は例外で、スラム街での悲壮な現実をクールに綴ったリリックで後のラップに大きな影響をおよぼしました。

ディスコの流行

HIPHOPはディスコに影響を受けるか、あるいはディスコに反発して発展しました。カーティス・ブロウによると、初期のHIPHOPはディスコ音楽が好きか嫌いかで2つに分かれていたそうです。

ラッパーズ・ディライトは、テレビの演出で登場した、まさにディスコに影響を受けた曲の一例です。

1970年代前半には、多くの黒人専門のラジオ局がディスコの選曲に切り替えたのですが、アフリカ系アメリカ人コミュニティの多くでディスコに対する揺り戻しがありました。アフリカ・バンバータによれば、ブロンクスのヒップホップは、ラジオ局で流れるディスコに反対する運動そのものであったと言います。

カーティス・ブロウによれば、ディスコは中産階級ミュージックで、ヒップホップはゲットーのものという考えの上での、「ディスコ・ラッパー」対「B-Boy」の戦争だったと言います。

1980年前半にワシントンで発生したゴーゴーや、シカゴのハウスミュージック、デトロイトのミニマル・ファンク(後のテクノミュージック)も揺り戻しの一例だそうです。

HIPHOPの商業化

最初の商業的なHIPHOPは、ファットバック・バンドの「King Tim III (Personality Jock)」と、シュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・ディライト」です。どちらもヒップホップのDJ文化に根ざしたものではなかったのですが、「ラッパーズ・ディライト」は大ヒットしビルボードのトップ40に入りました。その後に続いてカーティス・ブロウ、シークエンス、グランドマスター・フラッシュ&ザ・フュリアス・ファイブらが次々とリリースして、HIPHOPは大きな一歩を踏み出しました。

1980年代には、カーティス・ブロウはスプライトのCMにも出演します。しかし、これらのメインストリームに活躍の場を移したアーティスト達は、当時のゲットーの聴衆からセル・アウトと非難されてしまうのでした。

オールドスクールなファッション

RUN・DMCのファッションのインパクトはオールドスクーにかなりの影響を与えていて、ゴールドアクセサリーにアディダスのセットアップと靴ひもをはずしたウルトラスター、そしてカザールのサングラスでバッチリ決めればエアロスミスも間違うぐらいのオールドスクールな格好が出来ますよ。

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最終更新日:2017/4/27